からだ にきびのヒミツは

にきび対策を怠っていませんか?食生活の乱れがにきびを生み出す原因になります。20代30代の方も気をつけましょう。

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生体内を断片的に見れば一部成り立つ世界もあるが、西洋医学における目まぐるしい学説の変遷を考えると、生体内の複雑な機構を誤った方向で解釈している一面もあるのではないだろうか。 また、血液型の変遷の問題も興味深い。
骨髄移植では血液型は変化するが、それ以外では、普通そのような現象は考えにくいとしている。 Mの法則を万能主義とするなら、当然至極である。
しかし、血液型が変化した現象をM氏はシベリアで確認してきている。 そのシベリア人は極限の飢餓状態にあったらしい。
人間に限らず生命は非生理的条件下では、想像できないようなことが起こると考えられる。 血液に関する内容でもうひとつすると、M氏は白血球の血球算定法についても言及している。
現在の血液検査で調べる白血球の数は、生体内を流れているその数と同一視できないとしている。 それは、白血球が赤血球より生成されることを考えると、採血の際に、何らかの非生理的条件が介入するので、本来のものとは異なってしまうと述べている。

さらに、バクテリアファージを用いた遺伝子研究についても疑問がある。 昔より存在していたバクテリアといった小さい生物は、重力の1万5000倍の力に耐えられる強靭な生命で、同じ生命だからといって、これを利用した遺伝子研究を直接人間にあてはめるわけにはいかない。
最先端の医療になればなるほど、非生理的な条件が課せられてくるのはおかしな話である。 いずれにせよ、生理学実験で結果を得ることと、人間本来の生理的条件下で、体内で起きている複雑な機構の真実を知ることとは別なのである。
M氏は、血球分化については、映像としてとらえることに成功した。 しかし、腸造血について、動態観察をするのは至難の技であると、M氏から以前、伺ったことがある。
人体を実験するわけにはいかないので、同じ哨乳類であるウサギ(家兎)を用い、動的に腸造血の実態をつかもうとウサギに腹窓を設けての研究を行ったが、やはり難しいとのことであった。 ウサギはだんだん弱って死んでしまうし、この状態で得られたデータは、非生理的であり本来のものとは異なるものである。
これでは、飢餓の鳩の非生理的条件下で生まれた骨髄造血説の二の舞を演じてしまうことになる。 M氏は、腸造血の動的画像を撮ることはできなかったが、切片標本を作ることには成功した。
研究者でない私が申し上げるのも借越だが十分であると思った。 M氏の次の一言が印象的だった。

「もしかしたら、この先、ずっと解らないかもしれないなぁ……」OクリニックM氏は現代医学の枠を大きく飛び出し、大海原にひとり、船出することになった。 あれほど医学界で騒がれたM氏が、日本の医学界に突然見切りをつけたのは、頭が堅い医学界を相手にしても時間の無駄だと、おそらく考えたのであろう。
新しい学説を説いている間に時間は無情にも過ぎていき、ガンをはじめ多くの患者さんが死んでいった。 そこで、食事療法を中心とした前代未聞の新しい医学理論に基づいた医療を開始するのであった。
水道橋駅を降りて水道橋を渡り、K高校を右手に急な忠弥坂を登りきって少し歩くと、左手に白い古めかしい建物がある。 M氏が院長を務めるOクリニックである。
ガンの患者さんをはじめ多くの病院で見放された方々が、この坂を一筋の希望の光を持ちながら登ったことであろう。 私も約30年前に、この急な坂道を登ったことをおぼろげに覚えている。
私は、一卵性双生児の未熟児で産まれ、体も弱く風邪をこじらせてばかりいた。 扇桃腺が腫れて体中に毒素が廻るから肩桃腺を切るしかないと言われ、どこの病院へ行っても返ってくる返事は異口同音であった。
私は当時3歳だったので、身体に何が起きているか全くわからず、ただ親の言うとおり行動した。 母親はそんな簡単に扇桃腺を切るといった事はおかしいと、素人ながら思ったのであろう。
そんな時、あるきっかけでM氏を知り、当時住んでいた大阪から新幹線で東京へ来たことを覚えている。 それ以来、徹底した玄米菜食生活が始まった。
幼稚園は給食であったが、一切口にしないで、お弁当を毎日持参した。 主に、玄米雑穀のオニギリと、おかずには、ちょっとした青菜や海藻類のものであった。

幼少の頃、自分だけ他の人と異なるのは、馴染むのに容易ではなかった。 友だちが真っ赤なソーセージや真黄色の卵焼きを食べているのを羨んだ覚えもある。
しかし、あれだけ病弱だった身体がここまで健康になれたのは、あの頃の食生活無しではあり得ないと考えている。 母の判断は正しかった。
当時、もし現代医学の病院にかかって治療を受けていたら、風邪の引きやすいひ弱な体質になっていたに違いない。 性格だけでなく肉体的なものも含め人間形成には、幼少の頃の影響を多大に受ける。
味覚もそうである。 幼少の頃に体験した食生活が後々、様々なところで影響してくる。
世間的に立派な病院といったら、玄関が華やかで、良く冷えた自動販売機、洋食が食べられるレストランが併設されていて、いかにも近代的なイメージである。 ところが、Oクリニックは今も昔と様子が変わらず、立派な近代的な設備などはほとんどない。
夏でも窓を開けっ放しにして自然の風が入ってきて、夏には蝉の鳴き声が診療室内に響き渡る。 どこかの町医者の雰囲気である。
かっこうは関係なく中身で勝負しているところが、このOクリニックである。 生命の本質、真理はひとつであるから、これをもとにして生まれた医療は本物である。
決して、どんな時代になろうが、その医療はすたれることはない。 本物は、誰が何と言おうと最後まで残るであろう。
〈自然医学〉の理論は、50年前から何ら変わっていない。 本物だから変わりようが無い。

現代医学の学説がコロコロと変わるのはなぜか。 それは、人間を細かく観察する技術は高くなってきているかもしれないが、生命の本質を理解しようとしないからである。
現代医学は症状ばかり追いかけて、生命の本質を見ていない。 よって、治療方法も症状に対しての対策法を考えることに躍起になってしまう。
症状とは生命の本質より生じる表面的なもので、表面ばかり追いかけていると生命の本質を正当に理解する事を忘れてしまう。 現在、自然食物をとり、化学薬剤は止めなさいといった風潮が世に根づいていることは、M氏が全国的に〈自然医学〉運動を展開したことによる影響が大きい。
このような全国的展開だけでなく、アジアを中心とした世界的運動に広がることができたのは、医学的根拠がありかつ臨床での成果があったからである。 その学術的根拠は、1950年代より長い時間の地道な基礎研究によって確立された。
M自然医学理論は、当時、日本では受け入れるには難しく、結局、医学関係の学会で発表はしたものの、ほとんどの学者が真摯に受け止めることはしなかった。 医学界がM氏の理論を認めてしまったら都合が悪いので、無念にも潰されてしまったのである。
その頃、医学界はガンという病に悪戦苦闘していた。 M氏はガンの他、多くの病を、食という単純な生活習慣を見直すことによって治癒に導いてこられた。
人間の本能のひとつである食に焦点をあてたことの意義は大きい。